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歴史上の人物で、女性で、もし会って世間話なんぞできるとするなら、私は『額田女王』に会いたい。後の天智天皇、天武天皇の寵愛を受けた、超美貌の才女。しかし情報が少なく謎が多い。下手すると実在したのか?という議論もあるようだが、それだけに興味をさそう。さて額田王の話は今後改めて詳細に書くとして、今日はその時代背景について、少し述べたい。
DSCN5284.jpg(←クリックで拡大可能)
額田女王といえば和歌である。有名な歌はたくさんあるが、
『にきたつの 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今はこぎいでな』
この歌も『あかねさす、、』と並んで有名中の有名だ。なんか前向きな気持ちになれるし、気合が入る。

朝鮮半島には当時、百済、新羅、高句麗の三国があった。日本は百済と密接な関係があった。しかし新羅が唐国と結託して百済を滅ぼしてしまった。日本は慌てた。軍を派遣して百済を救済すべきか?いや国力が不十分な今、静観すべきだ!などなど。しかし当時、政権中枢にいた中大兄皇子や藤原鎌足は義を選択した。つまり百済救済のため軍を派遣することになった。このように井上靖氏は時代背景を説明していた。

上述の和歌は中大兄皇子らが九州へ向かう途中、額田王が詠んだ。彼女の職は基本的に神事に携わることで、時に天皇にかわって(天皇の心に入って)その時の気持ちを歌にするという役割をになっていたらしい。とにかく和歌に関してはダントツの才能があったようだ。で、『にきたつに、、』の歌は軍船出港に際し、中大兄皇子の心を詠んだらしい。

さて今、私がresponseしたのは和歌どうこうでない。その歴史背景の説明である。この中大兄皇子らの朝鮮半島出兵は最終的に白村江の戦いに敗れ、日本は撤収する。

昔、私は真っ赤なサヨク歴史教師から、この戦いは領土拡大を企んだ日本の侵略だ!と習ったように記憶している。実際、反日教育の一貫で韓国ではそう教えているらしい。当時はそんな解釈なんぞはどうでもよかったし、まあ〜相変わらずバカな教師ばかりやな!と思っていたものだ。

現代、歴史教科書ではどう記述しているのか興味が出て来た。山川出版の本をめくってみた。
DSCN5286.jpg DSCN5285.jpg(←クリックで拡大可能) 右の写真はその本文。『倭国の優位性を復活させようと考え』とある。これは気に入らん。が、少なくとも侵略目的とは書かれていない。これはこの本の著者が少しはまともなのか?時代が少しは変わってきたのか?

当時、出兵に関してのいきさつはこの『額田女王』に詳細に描写されている。もちろんかなりの部分はFictionだろうが、その議論は間違っているとも思えない。百済と日本は政治的、経済的にも友好国だった。その国が侵略を受けているのなら助ける、当たり前のことだ、ここで百済の滅亡を手をこまねいて傍観することは、日本国の歴史上の汚点になると、考えた中大兄皇子。

一方で、軍派遣に消極的なグループも、唐新羅による百済の侵略の意味する所、つまり唐、新羅連合の次のターゲットは当時の国際情勢を考えれば日本になることも理解していたようだ。勿論、中大兄皇子の選択は一般民衆に多大な苦労を強いたのも事実だ。万葉集を見れば分かる。

こういう議論は今も昔も変わらない。例えば台湾有事が起こったら個々の日本人はどうするのか?国民個人が様々なことを考え哲学を持たないと民主主義は成立しない。民主主義というのは途方もなくレベルの高いシステムであることを理解していない人が多いような気がする。多分、私の気のせいだと思うが?話がそれた。

一応、神皇正統記をながめてみた。
DSCN5287.jpg DSCN5288.jpg(←クリックで拡大可能)どこにも侵略したとか書いてないやない。むしろ『すくひの兵を申しうけしかば、天皇皇太子つくしまでむかはせ給う。』とある。当時の日本の国力を考慮すればとてもでないが海をわたって侵略などできるわけがない。

額田女王については。黒岩重吾氏の書いた『中大兄皇子、上下』でも読んだ。井上靖氏の額田女王の描写とはまた少し異なり興味深い、そのうちそこらへんの違いも含めレポートしたいと思います。

(現実逃避できたので、これから仕事に取りかかるかな。昨日のラボ会議で事態は益々切迫していることを再認識した)独り言
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