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読む本がなくなった。アマゾンのお世話になりたいが、緊縮財政の我が家(←関連記事。クリック)ではそれもままならない。

何度かここでも書いたが現在、私の所属する研究室は存続の危機である。なので、解散の場合(失業)を想定し無駄な出費は抑えている。本代も例外ではない。飯食わんでもええからアマゾンしようと嘆願したが、生命の維持という観点からこれ以上の緊縮は不可能らしい。笑 ←おおげさ

本が読みたければ日本なら図書館でレンタルできる。さすがにアメリカの図書館に日本語でしかも私が読みたいものがあるのか?

(話がそれるが、前述したように、例外は除き一般に個々の生活水準は所属する組織(職場)の経営状態に連動する。当たり前だ。現在不振ならそれにあわせて自分も合わせる。ところが時に世間には職場の経営状態(不振)に反比例して自分の生活水準が華美になる例外的なケースもある。この場合、生活の維持(経済面)においては現在の職場はあまり重要でないということになる。先日、ボスと話している中で、そんな話題が出た。状況に応じた立ち振る舞いというのは大事だと思った。ボスも研究室の事情という観点からいろいろ考えている模様。)

池波正太郎氏著、『人斬り半次郎』。おそらくかつてミネアポリスに在住された日本の方が寄付したのだろう。有り難い。
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さて、人きり半次郎と言えば、いきなり物騒だが。中村半次郎、後、桐野利秋の半生を描いた作品。幕末編、と賊将編の2冊構成。その幕末編を読んだ。今日、早速、賊将編を図書館に借りに行かないといけない。

ご存知、桐野利秋は幕末、薩摩藩士。西郷隆盛に見いだされ、明治新政府では陸軍少将までのぼりつめる。後、西南の役のあと、鹿児島の城山で戦死。

この幕末編ではそんな出世街道を歩む以前の半次郎の様子を描く。当時、例にもれず薩摩藩でも武士階級内での身分サベツが激しかった、半次郎はその最下層の郷士。武士ではあるが藩から給料が出ない。普段は農作業、内職で生計をたて、事が起これば命を藩に預けるという身分だった。

半次郎の場合、さらに最悪だ。父親がとある事件で牢人となり、他界。その汚名をも背負わないといけない。日の出る前から畑に出て野良作業、夜は自作の木刀でひたすら剣の稽古、に励んだ。

ある時、休みなく猛然と畑仕事をやる半次郎を見かけた人物がいた。たまたま所用で側を通りかかった西郷隆盛である。半次郎の働きぶりをながめていた西郷は半次郎に話かける。そこから半次郎の人生は急展開する。

池波氏のこの本。非常に軽くさくっと読める。司馬氏の作品と異なり、人物描写にかなりの重きをおいている。若干、時代背景などの説明が司馬作品より少ないが、その分、半次郎の人間性などが様々なエピソードを交え、立体的に伝わってくる。

半次郎がその後、西郷だけでなく大久保利通にまで高く評価されることになるのは、その剣の腕前である。鹿児島での驚くほどの貧乏生活の中で、半次郎は自分の本分を忘れずひたすらに努力してきたことが身を結ぶのである。

しばらくして島津久光の上京に伴い半次郎も京に上る。そこで半次郎は学問の必要性を自覚する。確かにそれまでは日々の生活に追われ、学問どころではなかった。京で知り合った尼層に頼み込んで学問を習う。それからは昼間は勤務、夜は寝ずに学問に励んだそうだ。周りからは、夜眠らずに大丈夫なのか?と効かれたそうだが、『睡眠などは私には贅沢だ』と答えたらしい。

後に、半次郎は西郷隆盛に、『この紙に何か字を書いてみよ』と言われる。そこで半次郎、『六月火雲雲飛白雪』と書いた。西郷はこれほどの字をすぐ書けるまでになった半次郎の成長をいたく喜んだそうだ。

ちなみに『六月火雲飛白雪』。『六月の火雲白雪を飛ばす』と読む。意味は『夏に雪を降らす程の自由自在な機能を持つことが重要である。つまり世の中の常識にとらわれていてはいけない』ということだそうだ。

中村半次郎も与えられた状況、環境下でそしてその時点で必要な分野について最大限の努力をやっていた。『睡眠は贅沢』などと今まで考えたこともなかった。まだまだ私には厳しさが足りないようだ。

半次郎からのいい檄だ。さて、今から持ち帰った論文の山、読破開始とするか!
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